What's REBECCA
ワタシの愛するREBECCAが1991年2月14日に正式に解散を発表してから、すでに8年の月日が経過してしまいました。
現在20歳未満の人の中にはREBECCAなんて知らない、聞いたこともないという人も大勢いるのでしょう。
そんな人のために送る、REBECCA基礎知識。
メンバー 各メンバーREBECCA参加秘話
ライブ ワタシとREBECCA
人気 阪神大震災チャリティーコンサート
曲調 REBECCA HOMEPAGE開設
幽霊の声 REBECCA復活、そして…
NOKKOと木暮武彦 REBECCA好きな曲
NOKKOとお兄さん
メンバー
何度かメンバーチェンジがありましたが、大まかに3期に分けることが出来ます。
第1期
Vo. NOKKO
Gu. 木暮武彦
Ba. 高橋教之
Key. 土橋安騎夫
Dr. 小沼達也
第2期
Vo. NOKKO
Gu. 古賀森男
Ba. 高橋教之
Key. 土橋安騎夫
Dr. 小田原豊
第3期
Vo. NOKKO
Ba. 高橋教之
Key. 土橋安騎夫
Dr. 小田原豊
       
この他、サポートメンバーとして、Gu. 是永巧一(第2〜3期)やGu. 友森昭一(第3期)、Percussions 中島オバヲ(第2〜3期)などがいました。
ちなみに、リーダーは第1期は木暮武彦で、木暮の脱退後は土橋安騎夫でした。
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ライブ
「REBECCAほどライブの魅力を多くの人に教えてくれたバンドは他にない」と言われるほど、REBECCAのライブは高い評価を受けていました。日本武道館を満員可能な日本のロックバンドなど少なかった時代に、REBECCAはなんと武道館6daysを成功させたり、東京ドームでライブを行ったりと、観客動員数もかなりのものでした。つまり、実力・人気ともに非常に高いバンドだったのです。
しかし、当時まだワタシは小学生で、家も群馬県にあったため、REBECCAのライブに足を運ぶことは一度もないまま解散してしまい、どうしてもっと早く生まれなかったんだ、と悔しがったものでした、本当に。ところが、ワタシの神様REBECCAはこんなワタシを見捨てないでいてくれました。なんと1995年5月26・28日に、あの阪神大震災のチャリティーコンサートとして、横浜アリーナで2日だけの復活を果たしたのです。
このライブにはもちろん行って来ました。チケットぴあの会員先行予約でも取れず、一般発売でもとれず、しょうがないのでダフ屋でチケットを買って見てきました。定価6,800円のところアリーナBで35,000円しましたが、神様REBECCAを拝めるものなら安いものです。思う存分感動の涙を流してきました。
一度とはいえ、REBECCAのライブを生で見られた事は本当にありがたいことだと思っています。あの2時間は人生の中で一番幸せな時間でした。
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人気
デビュー2年目にしてオリコン初登場1位を記録するなど、非常に人気の高いバンドでした。そのアルバム「REBECCA IV 〜Maybe tomorrow〜」は130万枚のセールスを記録。今のご時勢では130万枚なんてたいしたことないと思うかもしれませんが(globeやGLAYの400万枚と比べると3分の1以下ですからね)、当時の状況からするとそれはそれはすごいことなのです。ワタシは勝手に当時の130万枚は今の350万枚に相当する、と思っております。確か日本のロックグループで始めてアルバムがミリオンセラーとなったのがREBECCAだったはずです。もっともその後BOφWYというバンドがアルバムを150万枚セールスして記録を塗り替えましたが。それでも、REBECCAがバンドブームを作るきっかけになったことは間違いありません。
当時のロック界はREBECCAとBOφWYの二つのバンドが人気を二分していました。ワタシはBOφWYの出身地・群馬県に住んでいましたので、周りではBOφWY人気が凄かったのですが、それでもワタシはREBECCAに惹かれていたのです。
REBECCAの人気が故に、当時の少女たちはNOKKOのファッションを真似するようになりました。ちょっと前で言う「アムラー」みたいなものです。なんとREBECCAは「〜ラー」の走りでもあったようです。なんて言うんだろう、「ノッカー」かな?
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曲調
REBECCAには、最初のメンバーチェンジの直後から解散説がついてまわっていました。
第1期のREBECCAでは、ハードロック色を残したサウンドの中で、NOKKOのボーカルをどう生かすかあまり明確でなかった楽曲の中、苦戦を強いられていたようです。しかしデビューの翌年、木暮武彦と小沼達也の二人がメンバー間の音楽的方向性の亀裂からREBECCAを脱退してしまいます。リーダーであり、ソングライターでもあった木暮武彦の脱退は、REBECCAにとって大打撃だったのです。
(ちなみに木暮武彦と小沼達也の二人は、後にRED WARRIORSというバンドを結成。)
第2期のREBECCAの時代に突入すると、完全にNOKKOのボーカル&キャラクターに焦点を合わせた曲を土橋安騎夫が作りだし、NOKKOのふっきれたような歌、詞、振る舞いや彼女のパワフルにしてキュートなダンスに人気が出始めた頃、「LOVE IS CASH」、「FRIENDS」とヒットを連発し、一躍スターダムに躍り出たのでした。
しかし、土橋安騎夫の楽曲は、常にポップではありましたが、それは作品を重ねるごとに深く、シリアスに、色濃く変化を重ねていきました。
バンドの存続を第一とするより、まず作品でした。オリジナルアルバムの1枚目から6枚目まで、同じ路線のアルバムが全くありません。つねにREBECCAは暗中模索し、あがき、新しいことに挑戦し続けたのでした。
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幽霊の声
これはかなり有名な話ですが、REBECCAの「MOON」という曲に幽霊の声と言われる音が入っています。
2分13秒頃の「♪〜家を飛び出して戻らなくなった こわしてしまうのは〜」という歌詞のところで、「こわしてしまうのは」という歌詞の前に小さな声でセンパイと聞こえます。
この「MOON」を発表した半年後、NOKKOが急性盲腸炎で入院し、ライブを数本とばしてしまうのですが、この盲腸炎が霊の祟りだと騒がれました。
まぁ、実のところ、この声はNOKKOのものということが明らかになってます。しかし、幽霊の声が入ったCDというとやはりREBECCAの「MOON」を思い出す人が多いようです。
NOKKOと木暮武彦
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木暮武彦とNOKKOは、バンドの結成当時から恋愛していました。木暮の脱退時に二人は別れてしまうのですが、二人は1990年頃結婚しています。しかし、結局その後離婚してしまいますが。
REBECCAやRED WARRIORS(REBECCA脱退後木暮と小沼が中心となって結成されたロックバンド)の恋愛の歌はNOKKOと木暮の恋愛を歌ったものが多いようです。最初は「結接蘭・破接蘭」に始まります。この歌はNOKKOと木暮の喧嘩が主題になっていて、間奏のギターとキーボードの掛け合いはNOKKOと木暮の喧嘩を表現しているようです。「WILD & HONEY」は二人が別れた後に作られましたがNOKKOが木暮との恋愛を振り返って作られた曲が多いようです。
また、RED WARRIORSの曲にも、二人の恋愛を歌ったものがあるそうです。
それからNOKKOはTo-yという漫画に登場するニヤという思春期の少女のモデルになっています。またこれは公にはなっていませんがNHKのアニメの「ふしぎの海のナディア」の主人公のジャンとナディアは木暮とNOKKOがモデルと言われているようです。
実際ジャンとナディアは喧嘩ばかりしていますから、可能性は高いのではないかと思います。
(大西浩史さんからの情報をほとんどそのまま掲載しました。大西さんありがとうございます。)
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NOKKOとお兄さん
NOKKOのお兄さんは、REBECCAの結成当時(メジャーデビュー前)にベースを担当していました。NOKKOの音楽へ興味を持ったのは、このお兄さんの影響が大きいようです。また、NOKKOのREBECCA参加ですら、木暮武彦とお兄さんが仲がよかったために実現されたという、非常に重要な人物だったのです。
1982年7月にNOKKOと木暮はレコード会社の対応に不満でアメリカに渡ってしまうのですが、二人が帰って来たときに今度はNOKKOのソロデビューの話がもちあがります。しかし、NOKKOはオーディションをすっぽかして、木暮にREBECCAの再開を持ちかけ、この時にお兄さんも加わってREBECCAが再開となるのです。
しかし、再開後一ヶ月で高橋教之が参加していることから、お兄さんがREBECCAにいたのは、ほんのわずかな間だけということになりそうです。
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各メンバーREBECCA参加秘話
NOKKO 元祖REBECCAは、木暮武彦、NOKKOの兄、そして男性ボーカルメンバーなどのメンバーで活動していたもので、バンド名も当初はREBECCAではありませんでした。
その男性ボーカルがバンドを抜け、木暮の誘いでNOKKOがREBECCAに参加しました。(1982年2月)
高橋教之 NOKKOと木暮がアメリカから帰国し、REBECCAを再結成した時、1ヶ月ほどはNOKKOの兄がベーシストとして参加していましたが、その後ドラムスの大金ハルヤの誘いで高橋が参加。
REBECCA参加前に高橋の在籍していた「イーブル」は、ハードロック系のバンドで、高橋もREBECCAのニューウェイブ系ロックには興味がなかったため、『とりあえず新しいベーシストが見つかるまで』という約束での参加でした。(1983年2月)
しかし、REBECCAで演奏していくうちにニューウェイブ系音楽に興味を持ち始めたために、それまで続けていたサラリーマンを辞めバンドに専念、プロデビュー後も在籍し続けました。
土橋安騎夫 立教大学在籍時代から音楽活動を続けプロを目指していた土橋は、「LAST CAST」というバンドで「コンテスト荒し」で名を馳せ、各地のライブハウスを廻っていました。
しかし、「LAST CAST」は遂にレコードデビューの夢を果たせないまま、土橋が大学5年生の1983年8月7日に解散してしまいます。
その3週間後、8月30日にCBS/SONYの人から「REBECCAに入らないか」という電話がかかってきたためにREBECCAに参加。
9月4日にはリハーサルに参加し、11月には「VOICE PRINT」のレコーディングに入りました。
小田原豊 小田原はREBECCA以前にも実はプロとして活動していました。19才の頃に「BOYS CLUB」というバンドで、チェッカーズの先駆けのようなアイドル性のあるバンドでした。1年ほどTVやステージで活動しましたが、やがて解散してしまいました。
「BOYS CLUB」解散後は、平山三紀や山下久美子などのバックバンドとして腕を磨き、その後「POW!」というバンドを結成します。
REBECCAから木暮武彦と小沼達也が脱退した後、以前ライブハウスでREBECCAと「POW!」が対バンしたことがあったという縁で、高橋教之にREBECCAに誘われます。
初期REBECCAの音楽が嫌いだった小田原は、その話しを一度は断りますが、『サウンド的にも色々と変えて・・・とにかくゼロからまたやり直すという感じでREBECCAというバンドを作るのなら参加する。』という条件で参加しました。(1985年2月)
古賀森男 小田原と同時期に、オーディションにより参加。(1985年2月)
以下は、オーディションの様子を述べた土橋の言葉。
「ギターのオーディションの時、来たのは5人ぐらいだったんだけど、古賀の他は、全員ストラトでスーパーコーラス、カチャカチャって感じだった。古賀は、短いシールド1本。
オーディションなんて、アガるのが普通だと思うけど、あいつは顔つきが違っていた。
ずーっと俺のことを睨んでた。もう、一発で決まり!とにかくカッコよかった。
『土橋さんて、目つき悪いんだもん』って、アイツも後になってその時のことをそう言っていたけどね。」
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ワタシとREBECCA
ワタシが最初にREBECCAを見たのは、4枚目のシングル「FRIENDS」を発表した1985年のことでした。ベストテンかトップテンかどちらで見たのかまでは覚えていませんが、そのとき見たREBECCAの姿は、今でもぼんやりと覚えています。「FRIENDS」の詞と曲、さらにNOKKOのパフォーマンスに、一瞬にしてREBECCAの虜となっていたのです。
もっとも、1985年といえばワタシは小学校3年生。群馬の片田舎に住むの小学生にとって音楽の世界とはテレビの中だけで完結するものであり、アーティストがCD(レコード)というものを発売していたり、コンサートというものを行っていたりということは全く知りませんでした。CD(というかカセット)を買うようになり、コンサートに興味を持ち始めた中学1年生の頃には、既にREBECCAは活動停止中で、ついにコンサートに一度も行くこともないうちにREBECCAは活動停止、そして解散してしまいました。
ちなみに、ワタシが一番最初に買ったREBECCAの音源は、「BEST OF DREAMS」のカセットでした。
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阪神大震災チャリティーコンサート
一度もコンサートに行くことがないまま解散してしまったREBECCA。コンサートが大好きなワタシにとって、REBECCAのコンサートを見ていないことはかなりのマイナスです。だからこそ、2日間だけの復活、阪神大震災チャリティーコンサートの情報を聞いたときは自分の耳を疑いました。まさか、REBECCAが復活するなんて・・・。こんなことが本当にあるのだろうか、と。
チケット獲得にはあらゆる手段を尽くしました。チケットぴあの会員先行予約。一般発売。チケット予約番組の電話予約。それら全てを試みて全てに跳ね返されたワタシは、最後の望みをダフ屋に託しました。
そして運命の1995年5月26日、単身新横浜駅を降り立ったワタシは、あきらかにひと目でダフ屋とわかる兄ちゃんに近づき早速値段交渉。ダフ屋利用のコツは、ダフ屋さんと仲良くなること。そうすると、携帯電話で誰かと相談して5000円くらいはまけてくれます。定価6,800円のチケットを、交渉の末見事35,000円でゲットしました。
開場したらすぐ中に入り、唯一のコンサートグッズだったTシャツを購入しました。値段は忘れました。
いよいよコンサート開始。座席はアリーナBの後ろの方だったので、肉眼ではよくわかりません。NOKKOは明らかに女性だから判別できるものの、その他のメンバーは全然判別できません。情報によると、ギターを弾いていたのは是永さんだったそうです。
しかし、サウンドはどこにいても聞こえます。始めて聞く生のREBECCAサウンド。1曲目の「RASPBERRY DREAM」のイントロが流れたときは、鳥肌が立つとともに目が潤んでしまいました。 そして2曲目は、ワタシにとって最も大切で大好きな曲「MOON」。もう涙があふれて止まりませんでした。その他の曲もしっかりと脳に焼き付け、至福の時を過ごしていました。
当日演奏した曲は以下の通りです。(ピンク色の曲名は、NOKKOのソロ曲)
  1. RASPBERRY DREAM
  2. MOON
  3. 76th STAR
  4. LONELY BUTTERFLY
  5. ライブがはねたら
  6. COTTON LOVE
  7. ONE MORE KISS
  8. 人魚
  9. LOVE SONG
  10. イ・ノ・チ
  11. OLIVE
  12. WHEN A WOMAN LOVES A MAN
  13. CHEAP HIPPIES
  14. MONOTONE BOY
  15. PRIVATE HEROINE
    〜アンコール〜
  16. FRIENDS
  17. MAYBE TOMORROW
ワタシ的にはREBECCAだけでなく、NOKKOのソロ曲もやったのは不満が残るところです。リハーサルの時間など仕様がない理由があったのか、NOKKOが主張したのかはわかりませんが、REBECCAを見に行ったのだから曲もREBECCAでこだわってほしかったと思います。
とは言え、この日ほど感動したコンサートは他にはありません。色々なアーティストのコンサートに30回以上足を運んでいるワタシですが、涙を流したコンサートなどREBECCAだけです。
コンサート終了後はじっくりと余韻に浸っていたかったのですが、残念ながらワタシには余裕はありませんでした。翌日の27日は春の早慶戦野球の日。早慶戦の前の日は早稲田の学生も慶応の学生も神宮周辺で徹夜をします。当然ワタシもサークルで徹夜。そのため、新横浜から信濃町まで飛んで行かなければならなかったのです。残念。
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REBECCA HOMEPAGE開設
インターネットを初めて間もない頃、REBECCAについて検索してみました。
一応何件かヒットするものの、CDの一覧があったりする程度で、REBECCAについて詳しく書かれたサイトは発見できませんでした。
半年後に検索してみてもやはり結果は同じ。さらに半年後も同じ。だんだん寂しくなってきます。
丁度その頃HTMLを書くバイトを始めたため、REBECCAについてのサイトが無いのであれば自分で作ってしまおうと思い、解散発表時にREBECCAの特集が組まれていたWhat's In?という雑誌と「BEST OF DREAMS Another side」のブックレットについていた年表だけをもとにサイトを作り始めます。そうして出来たのが、このサイトです。
当初は情報も少なく、稚拙な印象の否めないサイトでしたが、皆様のご協力により情報も充実し、それなりにまとまったサイトになってきました。
サーバーも、バイト先のサーバーの無断借用、geocities.co.jp、独自ドメイン取得によるレンタルサーバーと順調にステップアップしております。
勢いだけで始めたこのサイトですが、多くの出会いを生み出すことができ、さらには土橋さんやノリさんにお会いすることもでき、挙げ句の果てにはノリさんと一緒にステージで「RASPBERRY DREAM」を演奏できてしまうなど、開設当初には思いもよらなかった状況を生み出せており、満足感でいっぱいです。
更新が少ないサイトですが、今後とも是非ともおつきあいください。
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REBECCA復活、そして…
このサイトも開設してから結構立つので、その間にメンバーの方々も見に来てくれていたようで、土橋さんから直にメールを頂いたこともあります。
所属事務所の方からもメールを何度か頂き、ドラマ「リップスティック」の主題歌に「FRIENDS」が使用されるという情報も、事前に教えてもらっていました。
その後も、土橋さんの新レーベル「beatberry RECORDS」の立ち上げイベントにも招待していただき、サイトの常連さん達と一緒に見に行きました。
そのイベントの場で土橋さんやノリさんには挨拶でき、土橋さんからは「しっかり管理しろよ」と肩を叩かれ感激したりしました。
などという日々を過ごしていると、突然REBECCA復活の情報が舞い込んで参りました。
狂喜乱舞、長年夢見てた事が現実の元に!
いやもう嬉しくて。
またもや事務所とのコネで、REBECCA復活を正式に発表する「玉川美沙の@llnightnippon.com」の生放送を見に行きました。
復活の理由を尋ねられた土橋さんは、理由のひとつに「ネットなんかで盛り上がってて〜」なんてな事を言ってくださいました。自然にガッツポーズ出ちゃいましたよ。
ついに2000年6月21日、復活の狼煙を上げるシングル「神様と仲なおり」が発売されます。カップリングの「HELLO TEENAGE」がまた良いのですよ。ミラノ感激!
そして7月9日には渋谷タワーレコードでインストアライブが!
NOKKO、土橋さん、そして古賀さんの3人で「FRIENDS」、「神様と仲なおり」、「MAYBE TOMORROW」の3曲を演奏して終わり。
奇しくもこの日はワタシの誕生日!もうREBECCA様最高です!これ以上無い誕生日プレゼントになりました。
その後、アルバムの発売やホールでのライブも期待していたのですが、尻すぼみ状態。悶々とした日々が続きます。
2002年1月23日には、木暮武彦がいた頃の未発表曲「TATOO GIRL」が発売され、再び小躍りします。
ノリさんの話だと、まだ2曲くらいは未発表曲があるとのこと。
今後どうなるかわかりませんが、まだまだこれから劇的な展開があると信じています。一生REBECCAについていきます。
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REBECCA好きな曲
ワタシが一番好きな曲は「MOON」です。
REBECCAの中で一番好きとかじゃなく、もうどのアーティストのどの曲よりも好きです。
今後もこの曲以上好きになる曲は絶対に出てこない、そう確信しています。
あまりに好きすぎてほとんど聴きません。3年くらい聴いていない気がします。そのくらい好き。
「MOON」以外の曲でもどれも好きな曲ばかりなのですが、あえて順位をつけるなら、
  1. MOON
  2. COTTON LOVE
  3. 夢幻飛行
  4. FRIENDS
  5. VIRGINITY
この様な感じです。
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