谷村有美(1)

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本日はワタシが大ファンである谷村有美の誕生日です。
記念にワタシの思い出を記しておこうと思います。
長くなるので、何回かに分けて。


ワタシが谷村有美の存在を初めて知ったのは、偶然彼女のラジオ番組を聴いた時。
TBSラジオ伝説の番組「ポップンルージュ(1989.4.13~)」でした。
しかし「ポップンルージュ」はPRINCESS PRINCESSの奥居香と東京少年の笹野みちると永井真理子が目的で聞いていたので、タニムラ担当の木曜日はあまり聴いていませんでした。
たまに曜日合同でやる企画、卓球対決の時なんかにタニムラの声を聴いていたくらいでしょうか。
今思えば非常に惜しいことをしたものです。
この頃はどちらかというとタニムラのことが好きではありませんでした。
同じくTBSラジオのサーフ&スノーという番組で「歌のうまいボーカリストベスト30」という企画をやっていたのですが、森川美穂よりタニムラの方が上位だったりして憤慨したくらいです。
タニムラのルックスや声などから勝手にアイドルっぽい存在だと思っていて、歌の方はあんまり気にしたことがなかったからですね。

そんなワタシがタニムラにはまるきっかけとなったのもやはりラジオ番組。
文化放送の「コークサンデーモーニング 全国高校野球 谷村有美 私の甲子園(1991.4.30~)」という番組でした。
何かの拍子に偶然聴いたこの番組、タニムラが甲子園を目指す高校球児やマネージャーのインタビューをしたりする、今考えると非常に不思議な番組でした。
その番組中で流れた「愛は元気です。」がきっかけでした。
初めて聴いたこの曲が非常に気に入ったので、レンタルCD屋さんに行って「愛は元気です。(1991.5.15)」のアルバムをレンタル。聞いてみて一気にはまりました。
ということで「愛は元気です。」から入ったので、タニムラファンとしては比較的遅く入った方になるでしょう。

それからは「愛は元気です。」以前のアルバムをレンタルしたり、その頃発売された「愛は元気です。」の単行本を購入したり、ラジオを聴きまくったり、どんどんとはまっていきました。
聴いていたラジオ番組はNHK-FMの「FMリクエストアワー(1991.4.13~)」とFM群馬の「4ウェイ・ミュージックストリート(1990.10.15~)」とNHK-FMの「ミュージック・スクエア(1993.4.6~)」。
あとはFM横浜の「ヨコハマ ラジオ ナイト 谷村有美の気ままにフィールミー(1989.4.14~)」を群馬の片田舎から根性で聴いていました。
横浜から発信されるFM電波を群馬でキャッチするには、部屋の中にいては到底無理です。CDラジカセを肩に担いで窓から身を乗り出し、少しでも電波をキャッチできるよう頑張って聴いていました。
また、FM802の「ミュージックガンボ(1989.11.13~)」も聴きたかったところですが、残念ながら大阪のFM電波は群馬までは届きませんでした。AM電波だったら届くのですが。
その代わりといっては何ですが、マニアックな「4ウェイ・ミュージックストリート」を聴けていたのはポイント高いと思います。この番組の放送局はFM仙台・FM群馬・FM静岡・FM広島・FM愛媛・FM長崎という素晴らしくマニアックな場所ばかりでしたから。
この様に、1989~1992頃のタニムラはラジオで大活躍でした。
通常1年で交代するはずのFMリクエストアワーのパーソナリティーを特例で2年務めたことからも、タニムラの人気と実力が伺えます。確か1年目が谷村有美と森川美穂。2年目が谷村有美と井上昌己だったはず。
ラジオで聴くタニムラは当時23~25歳くらいの年齢でしたが、そんな若いのが信じられないくらい立派で考え方もしっかりしていてそれでいてとてもお茶目で、大変尊敬できる方でした。
またこの頃は雑誌でも大活躍。FM雑誌と週刊プレイボーイに連載を持っていました。
FM雑誌は良いのですが、週刊プレイボーイは中高生だったワタシにとっては難関でした。
ドキドキしながら立ち読みしたものです。
今はプレイボーイなんてなんのドキドキもなく読めますが。

続く。